kei-yuものがたり(3)


ボキャ恵のMCであるkei-yu。ご存知の方も、そうでもない方も多いのではないのでしょうか。
本当はこれを出そうかどうか迷いましたが、せっかくなのでネット上のユニット、kei-yuについて知ってもらおうと思い書きました。
(第3章:5/25追加)


2003年 kei-yuの混迷 〜衰退期〜

・絶頂期は長く続かなかった。
2003年に入ると、私(恵原)自身では、大きな人生の転換点に当たった。
そう、就職である。新しい会社に期待と不安を抱きつつ、会社での業務に励む(?)ことになった。

その反面、私のHPも更新頻度が下がり、それに伴い、kei-yuの活動も縮小されてきた。
2002年は確かに一番活動していた気がするが、2003年になると、出場回数の減少のほか、私の参加型お笑いの活動縮小、
就職に伴う時間の減少、新しい趣味(エグザスに通い始める)を始めることなどが重なり、ついに2003年9月を持って活動を休止してしまうことになった。


・波紋を呼んだ発言
さらに2003年はとんでもないことで2度も騒動を起こしてしまう。
1度目は、某オフに参加できなかったことを自分のオフ会のサブタイトルに使用していたこと。それが「空気読め」騒動になってしまったこと。
この騒動は、私がインターネットを一時休止していた時期に大きな波紋を呼んでいたのである。
それがきっかけとなり、活動が縮小し始めたこともある。
多かれ少なかれ参加型お笑いの人の信頼を失ったのではないかと思う。

しかし、それだけで終わりでなかった。
9月末頃に、某企業を「がんばれ」と励ましたことが悪いと叩かれる。
その結果、「もうこのHPではやれない」と思い、HPの更新頻度は著しく低下。
また、来訪者からも叩かれる結果となってしまった。

正直言って口は災いの元である。理解していかないといけないことなのだが…。
その後、私運営の参加型お笑いHPは2004年度に閉鎖することになったのである。


・充実していた生活
何か本来の趣旨と離れている気がするが、2003年度はそれなりに生活が充実していたと思う。
仕事と遊びを何とか両立し、友人との付き合いを大切にしつつ、会社の行事にも積極的に参加するなど。
また、これまで縁のなかったスポーツジムにも通うようになり、この時期は人生で一番充実していたのではないかと思う。
参加型お笑い活動を停止していた時期は皮肉にも充実していた生活を送っていた。
一方、kei-yuを活動停止にしてしまった後ろめたさと寂しさは当初はなかった。
しかし、私の頭の中のどこかにこの2人は生きていたのだろう。
その想いが徐々に大きくなっていった。

そんな中、2004年度夏にとんでもない事件が起こるのであった。


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