kei-yuものがたり(1)


ボキャ恵のMCであるkei-yu。ご存知の方も、そうでもない方も多いのではないのでしょうか。
本当はこれを出そうかどうか迷いましたが、せっかくなのでネット上のユニット、kei-yuについて知ってもらおうと思い書きました。


2001年 kei-yu結成 〜黎明期〜

・どうせやるなら、過去に例がないものをやりたい。
ネットユニットは2000年あたりから、参加型お笑いのオンバト系企画とか、ボキャブラ企画などによく用いられていた。
2000年当時、私はまだ、参加型お笑いの存在をあまり知らず、HPもテキストベースのものだった。
しかし、私の友人が、「ボキャブラ帝国に参加している」との報告を受け、どのようなものかと見てみたところ、
わりかし簡単にはまってしまったのである。

しかし、ボキャ帝を知った当時、私は参加することは考えていなく、パネラーとして参加する事を考えていたが、すでにパネラーは
ある程度固定化されていたようである。そして、見ていくうちに参加する事を決めたのである。
しかも、ボキャ帝の第3期後半は、新人の当たりの時期といわれているほど勢いがあった。
「どうせ出るなら今のうち」と、その波に半ば乗った形で思い切ってユニットを作成したのである。

でも、ユニットを作るなら、どうしようか…
コンビ設定は個人的にいいんだけど、男2人の設定が普通。
なら、男女コンビにしてしまえ!ということで、形式が決定。

でも、男女コンビの場合、ボケ役が男性、ツッコミ役が女性の場合が普通。
なら、それを逆にしよう!ということで、女性をボケ役にすることで決定。

でも、男女コンビの場合、女性キャラの印象がいまひとつ薄い。
なら、女性キャラの濃さを印象に残りやすくする!ということで、女性のキャラは細かく作り込もう!

メンバーはどうしよう?とりあえず、私がひそかに作成していたキャラを使用しよう。
メンバーは恵利圭(けいり けい)友利優(ゆうり ゆう)の男女コンビ設定であった。

キャラの設定は2人とも(特に友利さん)細かく作りこんだ。

ユニット名はどうしよう?長い名前は個人的にイヤなので、覚えやすくて簡単なものを設定。
お互いの名前をあわせて、「kei-yu(けいゆう)」にしよう!
と、数々の課題をクリアし、 当時、ネットユニットではかなり珍しい男女コンビかつ、ボケ役が女性という構成である
ネットユニット「kei-yu」が2001年6月に誕生したのである。


・実は2000年には構想が出来ていた?
kei-yuの構成は上記の2名であるが、実は、2000年あたりから細々とではあるが(4コマ)漫画を描いていた。
そのときのキャラがずばり、kei-yuの2人である。

上記にも述べたが、2000年の時点ではネットユニットとしての活動は全く考えていなかった。
でも、このころから2人のキャラが少しずつではあるが固まり始めていたころでもあった。
kei-yuの下地がこの段階から出来ていたのだと思う。


・悲惨な運命
誕生からまもなくして、早速ネット上での活動を開始した。
鳴り物入りでボキャブラ帝国第55回に挑んだものの、予選落ち。
次回の第56回になって、ようやく初登場となった。
で、初登場時のネタはこんなネタ。
(初登場時は下の名前だけの表示にしていましたが、今は苗字表示にしているので、苗字表示に変更しています)

恵利 この前の作品、予選落ちか・・・
自信あったのになあ・・・
友利 まだ次回があるって。
恵利 うん。
ところで、今回の作品順位をつけると何位ぐらいだろうか?
友利 そうね・・・
会津といったら磐梯山!
(遭えて言ったら番外かな?)
恵利 そうか。 俺の作品は山なみか。 って違うよ!!

というネタ。今時分で見ても恥ずかしい気はする。
まあ、確かに、会津磐梯山は福島県会津地方のシンボルともいえるのだが。
肝心の評価は9点(30点満点中)。しかも最下位という、いきなり厳しい試練を受けたのであった。

別に最下位なのは、そんなに気にしていなかったが、個人的に気になったことは、
「初登場なのにトークを使ってくれなかったこと」。言い換えると、コメントも少なかったため、「注目すらされなかった」といえるだろう。

ボキャブラもそうだが、2001年当時、私は「まず最初に濃いキャラを前面に出し、知名度をぐんと上げる」という計画だったのだが、
それすらかなわなかった。さらに、当時の私は「トーク重視」の面があったのかもしれない。
仕方がない面もあったのかもしれないが、少なからず私はイヤな思いをした。
だから、ボキャ恵ではこんなかわいそうなことが無いよう、新人さんのトークは原則として掲載する方針にしたんですよ。

その後、ボキャ帝で1回出場したっきり、ボキャ帝の出場はなかった。
その一方、他のボキャブラ企画ではそこそこの成績を残す。

まだ知名度も低く、活動も始まったばかり。結果はともかく2001年度は黎明の時期だったと思う。


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